テニスのグランドスラム8回制覇。世界ランク1位。そんな男が、ピックルボールのコートで「自分のテニスを捨てろ」と言い切った。
アンドレ・アガシ (Andre Agassi) が複数のインタビューで繰り返し語っているテーマがある。テニスプレーヤーがピックルボールで最も苦しむのは、長年かけて身につけた"強打の本能"を忘れることだ。
「テニスプレーヤーは全員PTSDを抱えている」
アガシ — 2025年U.S. Open Pickleball Championshipsでアナ・リー・ウォーターズとペアを組みプロデビュー
Jenius Bank Pickleball Championshipsの放送でインタビュアーのハナ・ジョンズに対し、アガシはこう語った。
「移行は多くの面でスムーズだ。でも精神的にはものすごく難しい。"unlearn(忘れる)"しなきゃいけないから。 言いたくないけど、テニスプレーヤーは全員PTSDを抱えている。塹壕に戻って、体に染みついたものを忘れるために頭をフル回転させる——あの感覚だ」
8回のグランドスラムタイトルを持つレジェンドが「忘れる」と言う。この言葉の重みは、テニス経験者ほど刺さるはずだ。
「スペースを見たら打ちにいく」が通用しない
アガシがプロデビュー後に語った言葉がさらに具体的だ。
「ものすごいニュアンスがあって、それがチャンスを生む。『スペースを見つけたら、そこに打て』じゃないんだ。 忘れなきゃいけないことが山ほどあった。でも本能的にできることもある。ラケットを握って育ったから、パドルでも良いコンタクトはできる」
テニスでは空いたコートを見つけたらフルスイングで叩き込む。それが正解だった。でもピックルボールでは?
キッチン(ノーボレーゾーン)まで急いで詰めて、そこから"冷静に"打つ。 テニスの「攻撃→決める」という回路とは真逆の発想が求められる。
テニスの「パワー」vs ピックルボールの「パターン」
Pickleball Slam 4 — 2026年4月15日、アガシ&ジェームズ・ブレイク vs ウォーターズ&ブシャール
The Kitchen Pickleballポッドキャストでは、両スポーツの戦略的な違いについても踏み込んだ。
「ピックルには多くのニュアンスがあるけど、パターンも多い。パターンさえ理解すれば対応できる。一方テニスは、ペース、深さ、スピン、選手ごとの特性がある。繰り返し使えるパターンなんて存在しない。 コートも大きいし、レバー(ラケット)も長い。次元が違う」
つまりテニスは「変数が多すぎてパターン化できないスポーツ」、ピックルボールは「パターンを読み切る頭脳戦」。テニスで鍛えた"パワーで変数をねじ伏せる"アプローチは、ピックルボールでは武器にならない。
体への恩恵——「テニスの回転負荷がない」
一方で、テニスからの転向にはポジティブな面もあるとアガシは強調する。
「テニスが体に与える回転の負荷——あれがピックルボールにはほとんどない。体にとっては本当に健康的で、寿命を延ばしてくれる。 僕に第二の人生をくれたスポーツだ」
55歳にしてプロ大会に出場し続けるアガシ。テニスでは不可能だった「現役復帰」を、ピックルボールが可能にした。
Pickleball Slam 4 & World Series of Pickleball——アガシの2026年
アガシのピックルボールへのコミットメントは、プレーだけにとどまらない。
- ●Pickleball Slam 4(2026年4月15日): ジェームズ・ブレイク (James Blake) とペアを組み、アナ・リー・ウォーターズ (Anna Leigh Waters) &ユージニー・ブシャール (Eugenie Bouchard) と対戦。賞金総額100万ドル
- ●World Series of Pickleball: アガシ・スポーツ・エンターテインメントが立ち上げた新大会シリーズ。ラスベガスを拠点に、プロからアマチュアまで参加できるグローバル大会を展開予定
「ピックルボールは僕の人生の大切な一部になった。プレーヤーとして、ファンとして、そしてこのスポーツを純粋に楽しむ一人の人間として」
日本のテニスプレーヤーへ——「早く乗り越えろ」
テニスからの転向を迷っている人へのアドバイスを聞かれたアガシは、シンプルにこう言い切った。
「早く乗り越えろ。どうせいずれ乗り越えることになるんだから」
日本でもテニス経験者がピックルボールを始めるケースが急増している。「テニスが上手いからピックルボールも楽勝」と思って始めた人ほど、キッチン前のソフトゲームで壁にぶつかる。アガシの言葉は、まさにその壁の正体を言い当てている。
グランドスラム8回の男でさえ「忘れる」ことに苦しんだ。でもその先に、テニスとは違う"新しい楽しさ"が待っている——アガシ自身が、それを証明し続けている。



